言い出しっぺ
「言い出しっぺになりたくない」と思っていませんか?
学級会や会議の場で「誰かが初めに発言してくれたらいいのになあ」と顔を下向けて沈黙の時間と闘ったこと、ありませんか?
乗っかるのが上手な人は多いのです。また、言い出しっぺの意見をさらに補強したり、広げたりするのも上手にできるのです。
だのに、いないのです。
「言い出しっぺ」になれる人が。
言い出しっぺになる勇気
言い出しっぺになりたくない理由は何でしょうか?
言い出したことにリアクションが来るのが怖い、リアクションが無いのも怖い、今から自分が言おうとしていることは面白く無いものな気がする、などいろいろあるでしょうね。
頭に心に抱いたものを言葉として表出する前に、フィルターにかけているのです。そのフィルターが何重にも重なって、言葉にするのをためらわせます。
でもそれって、その場にいる人みんなが抱いている感情ですよね。
要するに、「勇気」の問題です。
「言い出しっぺ」をやれる人というのは、フィルターをはずすことの出来る「勇気のある人」なのです。かっこいいのです。
私はその「勇気」を育てたい。そして、「あの人、言い出しっぺになったぞ。すごいなあ。かっこいいなあ。」と思うことのできる人間を育てたい。そういう価値観・文化を根付かせたい。
会議で初めに発言した人に、その発言が正しかろうと的外れだろうと、「言い出しっぺ」になった勇気をたたえる拍手が起こるぐらいの、そんな風土になるといいのになあ。
演劇メソッドによって、フィルターをはずしてみる体験をしてみてほしい。フィルターをつけたりはずしたり自分でコントロールできたら、どんなに素晴らしいでしょう。
心を育てる演劇メソッドを目指しています。